「挫折は過程」 3年 太田龍之介
「挫折は過程」 政治経済学部政治学科 3年 太田龍之介(ファジアーノ岡山U-18) こんにちは。 今回部員ブログを担当させていただきます。政治経済学部経済学科3年の太田龍之介です。 まず初めに日頃より明治大学体育会サッカー部へのご支援、ご声援をして下さり、ありがとうございます。 「挫折は過程」 この言葉は自分が苦しくなった時に常に思い出す言葉である。 6月11日関東大学サッカーリーグ戦第9節VS法政大学 後半28分の事だった。 空中戦での競り合いの際に着地に失敗し、相手選手の下敷きとなる形になった。その瞬間、左肘からバチッと音が聞こえた。 その時点でなんとなく想像はついた。 診断結果は左肘靱帯断裂、その付近の筋肉断裂だった。 医師からは手術が必要で復帰には3ヶ月かかると言われた。 8月には総理大臣杯も始まる。 本当に自分自身が情けなく、悔しかった。 私は昔から怪我や成長痛などの挫折で悩まされる事が多かった。 中学校では目標でもあったJクラブのセレッソ大阪U-15に入ることができ、プロへの第一歩として実家から1時間半かけて通っていた。 その矢先、オスグッドを発症し同時にその部分が剥離骨折を起こしていた。医師からは4〜5ヶ月かかると言われた。 帰りの車で初めての大怪我に戸惑い、大好きなサッカーができない現実を受け入れられずにずっと泣いていた。 そんなとき、運転席に乗っていた父から"「挫折は乗り越えれば過程になる」だから落ち込むな。"と言われ、とても気持ちが楽になった。 その言葉はどんな時でも自分の頭に残っている。 だが、そこから3年間は挫折の連続だった。中学生の頃は身体の成長が遅くバランスが悪かった為、怪我から復帰をしてもクラムジー症候群になり思うようにサッカーが出来なかった。どんどん周りとの差も広がり、何回もサッカーをやめようと思っていた。 それでも、両親はずっと前向きな言葉をかけ続けてくれ、その言葉に何度も助けられた。 中学校時代は公式戦にあまり出ていなかった為、高校の進路探しでも苦戦した。周りのチームメイトは沢山の推薦をもらっていたが、自分にはほとんどなかった。 それでも、高校卒業時にプロになりたいという思いが強く、なんとしてもJクラブチームに入りたかった。そして沢山のJクラブチームのセレクションを受けたがことごとく落ちた。そんな中、チーム